こんにちは、タカキヨウです。
人に「思いやり」なんて持つな。
久しぶりに、こんな感じの記事を書きます。
最近は、仕事や、プログラミング、物販やヘアショーの準備、フィジークの為のジムトレなどで、こういった一見、非道徳的にも見えるような哲学する記事を書くことが無理でした。
常に身体作りをしているピチピチの21歳男性にも、無理だったので完全にキャパオーバーだったのでしょう。
まぁ、そんな言い訳は置いといて、本記事の内容に入りましょう。
人に「思いやり」なんて持つな。
何故持たない方が良いのか。
「思いやり」って多分ほとんどの人が、大事だと思っているし必要なことだと思っていると思います。
確かに、「思いやり」に溢れている世界ってなんか、暖かくて幸せな感じがしますよね。
でも、人間そんなに単純ではないし、純粋でもありません。
思いやりを持つからこそ、不幸が生まれるし、裏切りが生まれるし、負の感情が生まれるのです。
思いやりなんてクソ食らえなんです。
すみません、言い過ぎました。笑
余計な思いやりもある。
後、世の中には、余計な「思いやり」もあるのです。
まずは、思いやりをもらう場合、その思いやりのせいで相手側が行動を取りにくくなった場合。
相当なサイコではない限り、人間は思いやりを持ってもらうと、その人に対して好感が生まれます。
だから、どんなに効率的で創造的な発想が生まれたしても、その人に否定をされれば、感情が優位に立ち中々自分を出しにくくなります。※多くの人の話。
次は、思いやる場合、自分がある特定の人のことを思いやってしまった場合、その人に対して感情的になってしまうことが出てくると思います。
事実に基づいた、正当な判断ではなく、そこに情が入った瞬間、人の判断はブレます。
だから、僕は無駄に人を思いやらない方が良いと思うのです。
思いやられた場合はしょうがないですが、自分から思いやるのはやめましょう。
判断がブレるだけです。
しかし、一瞬の快楽、一瞬の幸せ、一瞬の安定を求めるのだとしたら、人のことを思いやるのも良いかもしれません。
その反動で必ず不幸は訪れますが、、、感情はトレンドチャート見たいなものなので、、、
みんなが自分勝手に生きれば「思いやり」は自然と作られる。
まぁ、こんなこと言っていますが、
「思いやり」なんて感情的な言葉で表現したくないだけで、その物事自体から生まれるパワーはとても強いと思います。
そして僕は、皆が「思いやり」を持つよりも、皆が自分勝手に他人のことは考えず生きた方が「思いやり」のようなものは強く発展すると思います。
「思いやり」というよりは、「宿命」って感じ。
皆が自分勝手に生きれば、自分を許容できるし、他人を許容できるんです。
人に対して「思いやり」という言葉があるから、対の、ネガティヴな表現が生まれるんです。
以上です。ありがとうございました。
by タカキヨウ