「高尚」と「不純」が混じり合ったものについて。

こんにちは、タカキヨウです。

「高尚」と「不純」が混じり合ったものについて。

「とりあえずやってみる」という思考を持っていない人は「損」をしている。

「高尚」

高尚(こうしょう)は、知性品格が高く上品なことである。高上ともいう。 「高尚な趣味」「高尚な議論」などという時に用いる。対義語は「低俗」「卑俗」「低劣」など。

引用:Wikipedia

 

 

「不純」

純粋・純真でないこと。まじりけのあること。また、そのさま。「不純な動機」「不純異性交遊」

引用:goo国語辞書

これらの二つは混じり合う事が出来るだろうか?

「出来る」と僕は思う。

これを考えた際に頭に浮かんできたものは事物よりも「小説」であって、その中でも「純文学」の分野について思考する事が出来た。

そこで、僕が1に思う作家は「山田詠美」である。

僕は、中学生の時に山田詠美の作品にはまり込み、熟読した経験がある。

中学生の僕にとっては都会的で、洗練された印象を覚えた。

ブラックカルチャー、性的表現、粋な表現。

次は「村上龍」だ

僕は、彼の作品を数冊しか読んでいないが、「限りなく透明に近いブルー」には、衝撃を受けた。

読んだのは確か、高校一年生だった。

薬物、独特な性的嗜好、リアルな描写

次に来るのが「村上春樹」だ。

しかし、僕は彼に対して、「不純」と言う印象は抱かなかった。

附いて、「純文学」よりは「大衆文学」であるという感想だ。

これらの事に関して、自分なりに分析をしてみると

「高尚」→ブラックカルチャー、薬物

「不純」→性、描写

そして、これらは逆で考えることも出来る。

それぞれが、「高尚」であり「不純」でもあるのだ。

映画で言えば、「キューブリック」や「グザヴィエ ・ドラン」「ラース・フォン・トリアー」には、「高尚度」を強く感じ。

「ラリー・クラーク」や「ギャスパー・ノエ」には「不純度」を強く感じた。

これらには、「度合い」というものが存在すると僕は思っている。

その度合いは何で決まるか、

言語化して説明をすると日本の「隠キャ」と「陽キャ」で分ける事が出来る。

内面的思考は置いておいて、外見的に「高尚」は「隠キャ」に見えて

「不純」は「陽キャ」に見える。

とても軽率な判断、分析だと思われる方も居るかもしれないが、これは、コロンブスの卵的であって、本質をついていると思っていて、

やはり、外見で内向的思考の判断はある程度容易だと思う。

こんな事考えるのは、机上の空論かもしれないが今回は書いてみた。

以上です。ありがとうございました。

by タカキヨウ

 

 

 

 

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