こんにちは、タカキヨウです。
「表現」とは「自己救済」である。
「人間」は表現をします。
その他の動物も、「異性を誘惑する為」や「自分の身を守る為」に体で表現をします。
では、人間とその他の動物の表現方法の違いとはなんなのでしょうか?
それは、人間には、モノを作ったり、文章を書いたり、マーケティングしたりする表現方法がある事です。
その他の動物にも、中にはモノを作ったり、リーダーシップを使い表現している者もいるでしょう。
しかし、人間よりはその表現方法が顕著に現れてはいません。
そして、人間が「表現」することは「自分を守る(自己救済)」に繋がっているのです。
今回は、この事について話していきたいと思います。
自己表現
「表現」する事の気持ち良さ。
僕は、表現が大好きです。
話す、踊る、書く、作る、毎日様々な表現方法で自分という生命体を維持しています。
しかし、中には、「表現」する事の気持ち良さを知らない人もいます。
それが意外と多いんです。人間は「表現」が出来ないと溜まります。何が溜るって?
鬱憤やらストレスです。
しかし、それらは「表現」をする事で確実に軽減することができます。
表現格差
経済格差や情報格差と同じように、大きな社会問題の一つとして、僕は「表現格差」があると思っています。
特に、日本は「共同体的」であって「表現格差」が大きいと思います。
もっと自分が好きな「表現」を見つけたほうが良いんです。
正直「本当の表現」は「協調性」や「謙遜」の気持ちを持っていたらできないと思っています。
それらの感情を考慮しないからこそ、自分の「本当の表現」というものが出来て、それが結果的に「自己救済」につながると思っています。
例
超真面目で頭の固い学生が、クラブに行ってみたら「踊る」という表現に目覚め「ダンサー」を目指す事に。
許されない「表現」。
そして、この世界には 許されない「表現」 というものが存在します。
「殺人」や「暴力」や「盗難」などの「非道徳的」な「犯罪」です。
しかし、これらを侵すもの達は、それが自分にとって1番の「表現方法」であり、それらの表現方法しか知らない場合があるのです。
シリアルキラー達なんか、そうでしょう。人を殺めたくて殺めたくて仕方がないのです。
それらの「狂人」達は、人を殺める事で「自己救済」をしているのです。
「狂気」を殺すな!「狂気」の見方を変えろ!
そしてそれらの「狂人」達のパワーは半端ないのです。笑
許されない「表現」だからこそもっとしたくなるのです。
もし自分にそういった「狂人的要素」があるのだとしたら、その「表現」の見方を変えてみて欲しい。
ちょっと角度を変えてみるだけで良いのです。
それだけで、「表現」すること自体は変わらないけど、社会的な結果は全くもって変わってきます。
全ての人が「表現」できる世界へ。
まぁ、結果的に何が言いたいかというと、僕は全ての人が、それぞれの「表現」をできるような世界になることを願っているのです。
「表現」することは気持ちが良い。
許されない「表現」は効率的ではない。
{「表現」とは「自己救済」である。}
以上です。ありがとうございました。
by タカキヨウ