こんにちは、タカキヨウです。
「俯瞰」して自分を見る。
「俯瞰して見る」とは、具体的には「高いところから見下ろして見る」ということであり
心理学で言うならば、比喩的に「高いところから物事を見る」全体像を確認しながら、ある物事を把握することができる能力であって、使える場面はとても多いです。
しかし、いつも自分のことを俯瞰して見ていたりすると、「掴み所がないな」とか「なんでそんな感情を無視できるんだ」とか「楽しくなさそう」とか思われたりして多くの人にとっては異色の人間に思われることも多いので、すぐ思った事を口に出すのは禁物です。人目の気にしない人は出しちゃってOKです。
天才の勢い
俯瞰して物事を見ていると、人の能力によく気がつく事ができます。
そこで、気がつくのが90%以上の人間の 能力 思考力 行動力 が中途半端だって事です。
本当に中途半端で、ちょっと頭が良かったりするとその事に気がついて、でも、努力しても届かないと決めつけて、隠そうとします。
小俯瞰に逃げます。
自分より頭脳レベルの低い人にとっての俯瞰を見ようとします。(小俯瞰)
だから、頭は悪い方が良い。感覚・センスに優れている人ならば、と僕は思います。
頭が悪く、感覚・センスに優れている人は天才の一部です。
そんな人は空気も読まず突っ走ります。頭がちょっと良いと突っ走りません。頭が良いとそれをわかった上で突っ走ります。
頭が良いと行動に対して精神が削られます。気が付いてしまうから。それをうまく出来る人は、メンタルをぶち壊します。でも、これを出来る人は限られています。少ないと思います。今まで僕の見た世界に限ればですが。
だから、ここで言う「天才」(頭が悪く、感覚・センスに優れた人)に憧れを持ちます。なりたいというよりは羨ましさです。
これが{「天才の勢い」を俯瞰して見る}という事です。
全体像の把握 = 幸せ
僕は、全体像の把握が幸せに繋がると思っています。
感情的な人や、承認欲求が強い人は「俯瞰」出来ていません。
だから、すごく幸せな時とすごく不幸せな時の高低差が激しいです。
幸のエネルギーより不のエネルギーの方が大きいと思うので、人生のトータルで見れば不幸のゲージの方が多くたまると僕は思います。
全ての物事を俯瞰して見ると、精神が一定に近くなります。
人的にどんなに嫌なことがあっても「それは、この世界の一部の話」「それは、自分という肉体、精神の話」と割り切ることができます。そうした場合、悲しさや虚しさはあまり感じません。
嬉しいニュースなども、最初は少しゲージが上がりますがすぐ一定に戻ります。
でも、それが幸せだと僕は思います。
それでも、生きているし、ご飯を食べられるし、勉強できるし、もっと地球や社会、人間を把握できるからです。
離人・現実喪失症候群の可能性
これは、今起きている事や、自分の事を、自分ごととして見られなくなる事です。
こうなると、行きすぎた場合「死」を選ぶ可能性があるので、もしそれを阻止したい人がいれば、その人が一番心の晴れることをしてあげてください。
そうなる前の対処法が、たくさんの考え方を経験して、いつでもできる限り早く思考変更できる様にする方法です。
具体的にはそれぞれの思考に対して、リーダーを持つ事です。思考切り替え時はリーダー向かって全力疾走します。(リトル別人格を作り出す)
これが出来れば、精神は上手く安定します。
最後にbadな結末を書いてしまったので、「俯瞰してみる」ことが不のイメージになってしまったかもしれませんが、ある程度であれば、本当に使える機能です。
皆さんも意識して生活をして見てください。
以上です。ありがとうございました。
by タカキヨウ