こんにちは、タカキヨウです。
誰か1人が我慢するから、みんなが我慢しなくちゃいけなくなる。
あーあ、そうなんだよ、そうなんだ。
1人の我慢が、全員の我慢に繋がるんだ。
「我慢」って正直迷惑なものなんだよね。
なんか、日本の社会って「我慢」する事が、美徳みたいな感じだけど、アホらしいよね。
僕の一番嫌いなことわざ
「石の上にも三年」
これこそ、「我慢」するというものの代名詞で、
どんなに、辛く嫌な事でも、三年は我慢してやれば結果は出るみたいな感じのことわざだったよね。
まず、時代のニーズに合っていなかったら、どんなに努力したことだって「結果」は出ないし
反対に、時代のニーズに合っていれば、簡単に「結果」を出す事ができる。
無駄な努力に「結果」はついてきません。
「石の上にも三年」は「死語」です。
もし、このことわざをまだ使っている人がいたら、「こいつアホやわ笑」と心の中でもいいので笑ってあげてください。
その思考回路を変えるのには、時間がかかるので、本人が気がつくまで見届けましょう。
よし、コラムに入ろう。
なんで、我慢するの?
なんで、人間は我慢をするのでしょうか。
日本的に考えると、「我慢」をするという事が「美徳」みたいな風潮が流れていて、皆が思考停止して、「我慢」は良い事なんだという洗脳チックな原因。
and
人情。
この二つが大きな割合をしめる事でしょう。
思考停止の「我慢」は一番厄介ですね。
だって、その我慢をした人は、ほかの人にも我慢する事を求めるから。
僕も我慢をしたんだから、お前も我慢をするべきだってね。
ちゃんちゃらおかしい話だけど、これって結構ある事で、体育会系みたいに厳しく教育された人たちって、それを下の代まで受け継いでいくよね。
俺も我慢したんだから、お前も我慢しろって、直接こんなことは言わないかもしれないけど、こういうことなんだよね。結局は。
人情の「我慢」は難しい問題だね。
人情が強い人って、その人情を消そうと思ってもなかなか消えるものじゃないし、どれだけ、合理的に考えてみろって言っても、難しいことだよね。
でも、僕は人情の為に「我慢」をしているんだったら、それは今すぐやめた方が良いと思う。
だって、その「我慢」したことで結局誰が損をすると思う?それは、「我慢をした貴方だよ。」
皆が「我慢」という鎖から解放されて欲しい。
僕は、皆が「我慢」というものから解放された方が良いと思っている。
皆が「我慢」という鎖から解放された世界はどうなっているんだろうか。
それは「完全実力社会」だ。強いものが勝つ。
「ルール」というものが「我慢」を生み出す。
じゃあ、「我慢」がなくなった社会は「ルール」というものの存在が薄くなる。
「ルール」が薄くなれば、なんでもありな世界に近づく。クリエイティブ心が騒ぐね。
全てが自己責任。
でも、この世界の気をつけなくちゃいけないことは、「全てが自己責任」ってこと、今みたいに皆が「我慢」をしている世界って、自分の失敗をだれかが「ケツ拭い」をしてくれてるんだ。
あまーい世界なんだ。
「我慢」がない世界は、皆自分の欲望のままに動く。
やりたいことをやりまくる。自分の情熱に従って生活をする。
なんて、素晴らしい世界なんだろう。
全てが自己責任の世界。
以上です。ありがとうございました。
by タカキヨウ