こんにちは、タカキヨウです。
生きる。
人は誰の為に生きるのか?
自分の為?人の為?
そんなの、答えは決まっている。
so.人は皆自分の為に生きている。
「違う!俺は(私は)人の為に生きているんだ!」と言い返したい人もいるでしょう。
でも、それは違います。本当は、人の為に生きている人なんてこの世界に誰1人もいません。
でもそれは、皆が自己中心的な考え方であるのとはちょっと違くて、人の為にしてあげたって事が、最終的には自分の為になっているのです。
例えば、彼氏が、彼女にプレゼントをあげたとしましょう。
一般的には、彼氏は、彼女の為に、喜んでもらえるようにプレゼントをあげたとと考えるでしょう。
彼女の為を思っている良い彼氏だと。
でも、これは結果的に彼氏の幸せに繋がっています。
物を与え、喜ばれることによって、得られる彼氏の幸せ。
結局、彼氏物を与える→彼女喜ぶ→彼氏嬉しい→彼氏幸せとなっているのです。
では、次は、佐藤さんが鈴木さんの命を助け、佐藤さんが代わりに亡くなったことを考えてみましょう。
佐藤さんはある日、山を歩いていました。
そうすると、餓死しそうな鈴木さんを見つけます。
佐藤さんは、言います。
「私はもう、よく生きた。だから私の代わりにこの食材を、食べて生き残ってくれ。」と
(なんだこのトルストイ的な流れ)
鈴木さんは、佐藤さんの言葉に甘え、食材を食べて、生き残ります。
その代わりに、佐藤さんは餓死しました。
このことから、佐藤さんは最後に鈴木さんを使って、自分の幸せを果たし、亡くなったと考えることができます。
鈴木さんに生きて欲しいという欲求を果たして亡くなったのです。
結局、このようにどんなことも、自分のこうなって、欲しいという欲求で、相手に何かを与えたり、何かをしてあげたりするのです。
全ての人間は自分の為に日々を生きているのです。
他人の為に生きている人なんていません。
もう、皆さんも、思い切って、人生は全て自分の為なんだと思って生きましょう。
小賢しく、「他人の為を思って〜」なんてのはいりません。
清々しく生きましょう。清々しく。
天台宗の最澄の言葉。
自利利他。
「自利」自分の利益のこと。
「利他」他人の利益になるように図ること。
「他人の利益になるようなことをしてあげれば、それはいずれ、自分に返ってくる。」
という言葉。仏教の教えです。
なんか僕の言いたいこととはちょっと違う考え方ですが、こんな言葉もあるので紹介しておきました。
以上です。ありがとうございました。
by タカキヨウ