こんにちは、タカキヨウです。
もっと「哲学」をしたかったから「お金」を稼いだ。
僕は、哲学が大好きです。
哲学をする事は「机上の空論」なのかもしれないと思う時期がいくかありました。
しかし、やっぱり辞められないのです。
人生・世界、事物の根源のあり方・原則をもっと知りたい、もっと考えたいという欲求が。
一日中こんな事を考えていたい。
しかし、それには生活上いくつかの問題が現れます。
まぁ、その生活自体も後で「哲学」の参考材料になると思えばそれで良いんですが、確実にその間は哲学をする事は出来ない。
その障害は何かというと
・人と話している時。
・働いている時。
・公共料金の支払いだったり、明日の予定だったり、人と会う約束だったり、ラインの返信だったり、生きる上で考えなくていけない事。
これらの事で頭がいっぱいになると「哲学」をする事は到底不可能になる。
思考をする時間が欲しいのだ。思考をする脳部分が欲しいのだ。
しかし、こんな事を言う僕は「外交的」であり、人とのコミニュケーションは生きる上で欠かせない。
「人が根本的に好き。」と言うよりは、「人は分析対象」なのだが、まぁ、人間のことは割りかし「好き」な部類に入るだろう。
後の、公共料金の支払いだったり、明日の予定だったり、人と会う約束だったりも、考える事は結構好きだ。
要するに「千思万考」することが好きな人間なのだ。
最後は「働く」ということだ。
ここまでくれば大体の方は予想ができると思うが僕は「働く時間」が好きではない。
こんなこと言うとただの「社会不適合者」に思われるかもしれないが、
そうだ。その指摘は正しい。
しかし、それは悪い意味ではない。むしろModernではよい思考回路だと思っている。
僕は、ideaを考えたり、Businessを考えたり、Marketingをしたりするのが好きだ。
しかし、これらは僕の認識では「働く」というものには分別されない。
「働く」とは、労働力を提供し、時間に縛られ、思考の自由もなく、時には「命令」もされる事物だと僕は考えている。
こんなのは、「哲学」の思考に反している。無駄な時間だと僕は考える。
しかし、現実問題、多くの人はこの「働く」という時間に人生の多くを費やしてる。
疑問も持たず、働き、愚痴り、また働き、時には夢を零したり、しかし、また働く。
しかし、そういう人に限って「真面目に働く」
なんとも面白い現象だと僕は思う。
ここで私情を挟むが、「僕は愚痴を言った事が恐らく一度もない。」
「それは何でか」なんて事も考えた事もない。「人の悪口を言った事も恐らく無い」
もし、不満があるんだったら「それはどう解決するか」という思考回路になるので「愚痴」「悪口」は僕には必要ない。
そして、話は戻るが、僕は、「働く」そんな事が嫌だった、だから「変えた」
もっと「哲学や思考」をしたかったから「働く」事を辞め、「自力で稼ぐ」という選択に出た。
それで今は生活ができるようになった。
まぁ、でもこれには僕もある程度の試行錯誤を積み重ねた。
その結果、「自力で稼げるようになった」
「努力は報われる。」なんて言葉僕は好きじゃない。
この言葉は重要な部分を削ぎ落としているから、
正確には「有益な方向への努力は、継続をすれば報われる」であって
それには、先見の目も必要だし、忍耐力、抽象的なものに対しての理解力も必要だ。
だから、単に「努力は報われる」なんて軽い言葉で済ます事はできないし、
その言葉のせいで多くの人の「人生」は狂わされた。間接的に。
まぁ、最終的に僕が何を言いたいかというと
「僕は哲学をもっとしたかったから、お金を稼いだ」という事であり
それで良いんだ。という一種の宣言でもある。
簡単にいうと「素直」に生きる。
これだけで良いんだ。
by タカキヨウ